私は1975年に兵庫県多紀郡篠山町(現:丹波篠山市)で生まれ、父親が証券マン、母親が信用金庫勤めという、両親ともに金融機関で働く家庭で育ちました。
少年時代は、同年代の友達と近くの神社で「缶蹴り」や「ドロケイ」など昭和の遊びを日が暮れるまで楽しみ、ファミコンを買ってもらった友達の家に入り浸るという、当時多くの少年が経験した道を歩みました。
時は流れ1987年。
この年の2月に119万7,000円で上場したNTT株が、2か月後には318万円になっているという、今では考えられない時代でした。当時中学生だった私は「こんな世界があるのか!」と興味津々。
そこで父親が勧めてくれたのが、新聞に載っている株価を毎日チェックし、『ローソク足チャート』というグラフを作ること。当時、誰もが知る任天堂や松下電器産業(現:パナソニック)など、知っている会社を探してチャートを作るのは、株の右も左もわからない私にとっても、楽しいものでした。
就職したのは1997年。
入社した年は、北海道拓殖銀行や山一証券といった、名だたる企業が立て続けに倒産。どんな有名な大企業でも潰れることがある。そんな世の中になったのかと実感しました。
こうした情勢から「自分の人生は自分で支え、コントロールしていこう」と思った私は、長年学び続けてきた株式投資を本格的にスタートしました(詳細は株式投資編へ)。
また、当時のサラリーマンがやっていたお酒やタバコもたしなまず、出世に影響のあるだろう、ゴルフや上司との会食も正直不得意。きっと出世は難しいだろうと思ったのも、株式投資にのめりこんだ要因だったかもしれません。
それでも仕事は至って真面目で一生懸命。実務に必要な損害保険特級、生命保険応用課程、さらには、宅地建物取引主任者(現:宅地建物取引士)、管理業務主任者やFP技能士といった国家資格、ビジネス会計検定なども取得しました。
中には、私にとって難易度の高い司法書士の資格取得という目標も。こちらは残念ながら力及ばずでしたが、会社員時代は常に「何か勉強したい! 学びたい!」という意欲にあふれていました。
そんな向上心が認められたのか、上司から一定の評価をいただき、30歳半ばにして管理職に昇進。予想外の出世でした。周りにも順調だと思われ、自分もその幸運を受け止め、評価に応えようと奮闘する毎日。ところが40歳で配属された「経理部門」で、大きな人生の曲がり角を迎えることになります。
というのも、株式投資で得た分析力やビジネス会計検定の知識から、経理という仕事にはある程度自信があったのですが、「数字を読み解く力」と「数字を作り上げていく力」は、別物だと痛感したのです。また実際に作業をするのは部下で、判断や指示をするのが管理職の仕事なのに、残念ながら当時の私は、その才覚を持ち合わせていませんでした。
それでも何とかしなければと、日々残業した上、土日も会社に内緒で出勤。書籍や過去の資料を見ながら勉強したり、先輩・後輩を問わずアドバイスを聞いて回りましたが、全く追いつきません。やがて、上司と部下、それぞれからの信頼を失っている……そう感じはじめました。
しかし私はそれを補おうとさらに孤軍奮闘。休むこともなく、当然帰宅は深夜です。そんな状態が半年、1年と続けば結果は明らか。気づけば「眠れない」「食べられない」という状況になり、ついには「文字が読めない」「幻聴が聞こえる」という危険な状態になってしまったのです。
これはさすがにまずいと思い会社の産業医に相談したところ、すぐさま病院を紹介されました。そして、翌日から休職となってしまったのです。
就職したのは1997年。
入社した年は、北海道拓殖銀行や山一証券といった、名だたる企業が立て続けに倒産。どんな有名な大企業でも潰れることがある。そんな世の中になったのかと実感しました。
こうした情勢から「自分の人生は自分で支え、コントロールしていこう」と思った私は、長年学び続けてきた株式投資を本格的にスタートしました(詳細は株式投資編へ)。
また、当時のサラリーマンがやっていたお酒やタバコもたしなまず、出世に影響のあるだろう、ゴルフや上司との会食も正直不得意。きっと出世は難しいだろうと思ったのも、株式投資にのめりこんだ要因だったかもしれません。
それでも仕事は至って真面目で一生懸命。実務に必要な損害保険特級、生命保険応用課程、さらには、宅地建物取引主任者(現:宅地建物取引士)、管理業務主任者やFP技能士といった国家資格、ビジネス会計検定なども取得しました。
中には、私にとって難易度の高い司法書士の資格取得という目標も。こちらは残念ながら力及ばずでしたが、会社員時代は常に「何か勉強したい! 学びたい!」という意欲にあふれていました。
そんな向上心が認められたのか、情勢から一定の評価をいただき、30歳半ばにして管理職に昇進。予想外の出世でした。周りにも順調だと思われ、自分もその幸運を受け止め、評価に応えようと奮闘する毎日。ところが40歳で配属された「経理部門」で、大きな人生の曲がり角を迎えることになります。
というのも、株式投資で得た分析力やビジネス会計検定の知識から、経理という仕事にはある程度自信があったのですが、「数字を読み解く力」と「数字を作り上げていく力」は、別物だと痛感したのです。また実際に作業をするのは部下で、判断や指示をするのが管理職の仕事なのに、残念ながら当時の私は、その才覚を持ち合わせていませんでした。
それでも何とかしなければと、日々残業した上、土日も会社に内緒で出勤。書籍や過去の資料を見ながら勉強したり、先輩・後輩を問わずアドバイスを聞いて回りましたが、全く追いつきません。やがて、上司と部下、それぞれからの信頼を失っている……そう感じはじめました。
しかし私はそれを補おうとさらに孤軍奮闘。休むこともなく、当然帰宅は深夜です。そんな状態が半年、1年と続けば結果は明らか。気づけば「眠れない」「食べられない」という状況になり、ついには「文字が読めない」「幻聴が聞こえる」という危険な状態になってしまったのです。
これはさすがにまずいと思い会社の産業医に相談したところ、すぐさま病院を紹介されました。そして、翌日から休職となってしまったのです。
はじめの1週間は、リビングのソファでひたすら寝続けました。テレビは騒がしく感じるだけ。特にニュースやバラエティ番組は目まぐるしく場面が変わり、とても苦痛を感じました。
そんな中で唯一、心穏やかに観られたのが、「孤独のグルメ」という番組。ドラマでありドキュメンタリーであるこの番組は、松重 豊さん演じる主人公の五郎さんが、仕事の合間に気ままに店に入り、食べたいものをただ食べるというもの。
自分の忙しすぎた毎日とは真逆で、とても心が癒されました。自分の人生もこうだったらいいな~と、ぼんやり考えながら時間を過ごす日々が続きました。
1か月が過ぎたある日、主治医から「リワークプログラム」を勧められます。リワークプログラムとは、端的に言うと「社会復帰のためのプログラム」。具体的には、毎日決まった場所に通うことで生活リズムを取り戻したり、認知行動療法を用いて客観的に自分を見つめ、自分を苦しめている心のクセを見直すことです。
このリワークでは、同じように苦しい思いをしていた方々と、たくさんの出会いがありました。前述のドラマを見ながら「こんなふうに働きたい」とおぼろげに考えたことも相まって、休職中の経験は、人生を大きく変えることになりました。
その後「気軽に相談できるお金のプロ」として起業するわけですが、その前に、私がどう株式の勉強をし、どう失敗をし、今の「負けない投資」を確立させていったかをお話しいたします。少し長くなりますが、読んでいただけると嬉しいです。
前述のように、中学生時代から楽しく株式投資を学んでいた私ですが、実際に自分のお金で投資をはじめたのは社会人1年目の時でした。
当時はまだインターネットで簡単に投資ができる時代でなく、証券会社の窓口に行ったり、電話でやりとりするのが一般的。優良企業の株価が載っている『会社四季報』を見ては、お昼休みに自転車を飛ばして証券会社に行き、気になった会社のレポートや資料の印刷物をもらいます。それを家で何度も読み直して判断することが、毎日のルーティンでした。
入社1年が経ち、実際の株式取引がわかりはじめた頃、ソフトバンクやYahooが上場。通信業界が注目を集めていたので、そこに照準を合わせて売買をはじめました。自分のお金で少しずつ買った株がみるみる増えていくことに、面白さを感じました。この調子ならいつか会社員を辞めても大丈夫かな? という甘い考えも正直ありました(笑)。しかしいいことがずっと続くわけはありません。
そう、皆さんもご存知の「ITバブル崩壊」です。1999年から2000年にかけてでしょうか。恐ろしいことに、私も所有していたお金が半分以下になってしまいました。しかしこんな状況でも不思議と「辞めよう」とは思いませんでした。なぜならあまりの経済の激変ぶりに「怖い」より「面白い」が勝ってしまっていたのです。
加えて、お金が半分以下になったとはいえ、充分生活できる給料もあり、ボーナスもあります。そんなわけで辞めるという選択肢はなく、仕切り直して違う形でトライしていこうと考えるようになりました。
やがて出会ったのが、会社の存在意義に注目して投資をする「長期投資」という考え方です。そのきっかけは、日本の長期投資のパイオニアと言われる「さわかみ投信」の社長(現会長)澤上篤人さんのインタビュー記事を読んだこと。
「地道に、当たり前の事を当たり前にやる」というのが、澤上氏の信条。シンプルなことを淡々と実行する姿に「これは!」と思った私は、名古屋から東京の勉強会に、何度も足を運びました。どのメソッドも、まさに目から鱗。これまでやってきたことと全く違う視点と考え方に、新しい風を感じました。
あの勉強会がなかったら、今の自分はなかったと思っています。そしてトライ&エラーを繰り返していった結果、以前よりも多くの資産を作ることができました。
2002年、ライブドアブームが起こります。
堀江氏の華やかな買収劇をマスコミは大きく取り上げ、女性週刊誌でも株式投資の特集が組まれるほどでした。
しかしこうした過熱ぶりも、私からすればITバブルと同じ。近い将来、何かしらの終わりが近づいていることに気づきはじめていました。
とはいえ…わかっていても手持ちの株を手放せないのが人間の性(苦笑)。実は毎日のお金の増え方が、毎月の給料やボーナスの額より多くなるのが当たり前に感じるほど、私の資産は増えていたのです。「もう少し、もう少し上がったら手放そう…」と、毎日決めかねていた矢先に起きたのが、ご存知、ライブドア事件です。翌日から株式市場は大混乱。連日のストップ安で、私の株も高値の時に比べわずか1/20の価値になったものもありました。
ITバブルの崩壊で充分学んだつもりでいた私は、まだまだ甘さがあったことに気づかされます。この痛手と教訓は、一生忘れないものになりました。
再びふりだしに戻った私は、過去の多くの失敗を糧に、また前述の澤上氏から学んだことをもとに「負けない長期投資」を強化することになります。これが、現在に至る、私のスタイルです。
その後も、世界中に大打撃を与えたリーマンショックに続き、日本では東日本大震災、最近ではコロナショックと、さまざまな出来事が起こっています。
でも、どんなことにも一喜一憂せず、地道にコツコツと続けていくのが、私のやり方の肝。逆に、視点を「ピンチはチャンス」と変えることで、着実な資産形成が可能であることを、身を持って体験することができたのです。
多くの失敗と復活を何度も体験し、いよいよ「起業」へと、私は歩いていきますが、こうした経験も現在のファイナンシャルプランナーという仕事へと繋がっていきます。
休職期間中は、「これまでの人生」と「これからの人生」を考える、大切な時間でした。会社員時代は、キャリアを積んだ時代でもありましたが、あえなく休職し、復職しても活き活きと働いていくイメージは浮かびませんでした。
とはいえ、プライベートでは子どもが生まれたばかり。親としての役割も増えていく中で、どう自分のキャリアを育てていこう…と、常に考えていました。
そして前述のリワークでの出会いや、中学時代から20年近く株と関わってきた経験を振り返り「これこそ、自分が楽しく働ける形なのでは?」と思うようになります。
実は、日本ではお金について、学校で学ぶ機会はほとんどありません。民間団体やファイナンシャルプランナーが、子どもたちのために、お小遣いセミナーなどを開催していますが、そうした機会に巡り合えるのは一握り。大半は学ぶ機会もないまま、社会人になってしまうのが現状です。
でもいざ、アルバイトや就職によりまとまったお金を手にしても、有効なお金の使い方ができる人は果たしているのでしょうか?できたとしても、世界全体の経済を把握した上で資産活用し、自分や家族を豊かにできる人は、ほぼいないのではないでしょうか?
こうした背景を考え、お金のリテラシーの分野なら、わずかながらお手伝いができるかもしれない。自分の失敗や辛い思いが役に立つかもしれない…。そんな思いが日に日にわいてきました。
「そうと決まれば行動だ!」と、まずは身近な方にお声がけをしてセッションを行いました。家計のことや貯金のことなど、身の回りにあるちょっとしたお金のリテラシーをお伝えし、「やってみましょう!」と後押しするだけでも、皆さん明らかに変わっていかれました。それがたまらなく嬉しく、自分の生きがいになっていきました。
「働く」ということと「お金」ということは、切っても切り離せない両輪の関係です。シンプルだけれど見逃しがちなこの事実をお伝えしながら、相談してくださった方、おひとりおひとりを見守ることが、私が一生をかけてやりたいことだと気づいたのです。
こうして、2017年10月、「キャリア」と「お金」のそれぞれの視点からお手伝いする、株式会社ブリックを設立しました。
「お金のプロ」や「ファイナンシャルプランナー」と聞くと「ハードルが高そう」とか「相談しづらい」という声も多いのですが、私が力になりたいのは大きな資産を動かす方ではなく、ごく一般的な会社員や主婦の方々です。「資産作りをしたいけれど、何から始めていいかわからない」「仕事や家事に追われて実際に行動ができない」という方には、特にお役に立てるかと思います。
また、自分と同じようにキャリアや人間関係に悩む人からのご相談も多いです。「気持ちに寄り添ってくれた」「共感してもらえて救われた」と言っていただけるのも、あの辛く苦しい日々があったからだと、今は感謝しているほどです。
「人間万事塞翁が馬」ということわざがありますが、どんな世の中でもこれは当てはまるのではないでしょうか。これからも、きっと様々な出来事が起きるでしょう。でも、だからこそ「当たり前の事を当たり前にやる」という、地道にコツコツと続ける大切さが生きてくる時代になっていくだろうと感じています。
家計のやりくりからちょっとした資産作りまで。「お金の今と未来の悩み」を、ぜひお気軽にご相談ください。